講演日 平成26年2月23日
平成25年度日本臨床整形外科学会研修会(病院部会主催)
「整形外科医におけるリスクマネジメント」
講演から一部抜粋
- 1 リスクマネジメントの基本的心構えとして是非認識しておいて頂きたいことがあります。1つ目は、医療側と患者側さらには裁判所の常識は全く異なるということです。たとえば手術後の縫合不全による出血について、医療側は手術に伴う不可避的な合併症であると患者に説明しますが、患者側にとっては縫合不全は医師の手技ミスであって、合併症などと表現するのは医師の詭弁であると考えます。2つ目は、医療側の善意が必ず患者側に伝わるとは限らず、善意が裏目に出ることに留意しなければなりません。たとえば、合併症によって入院期間が当初の予定よりも長引いたときなど、医療側は気の毒に感じて、お見舞いの気持ちで、診療費の減免を安易に行いがちですが、後日患者側が医療機関の過失を主張して争った場合には、医療費の減免を行ったことが過失を推認する材料として利用されてしまいます。残念ながら裁判所も、本来徴収すべき自己負担分を減免したのは医療機関に過失があったからであると考える傾向にあります。3つ目は、紛争になった場合の医療側の相手は目の前の患者本人だけではないことです。不幸にも不可避的な合併症による医療事故が発生し、患者が亡くなるか、重篤な後遺障害が残った場合に、患者の受診に付き添っていた家族は、医療機関の献身的努力に接しているので不満は述べなくても、見舞いに来たことすらない、遠方居住の親族が医療機関を非難することが良く見受けられます。患者への説明内容や同意を得たことが書面化されて、患者とのコミュニケーションに基づいて診療したことが、後日の検証に十分耐えられるようにしておくことが必要です。4つ目は、患者や家族からのクレームすべてを自分一人で背負わないことです。第三者的に見ると医療者は極めて純粋に患者のためということを考えて行動するあまり、モンスター患者や家族などの理不尽な要求についても自分達だけで処理しようとして精神的に追い込まれる例が増加しています。モンスター患者に対しては、医療者個人の問題とすることなく医療機関全体が組織として対応することや、事案によっては、警察、弁護士等の外部の機関への相談、連携も考える必要があります。
- 2 医療事故とは、「医療における正常でない出来事」であり、医療の過程において患者に発生した望ましくない現象すべてを対象としますが、医療側弁護士の目から見ると、整形外科という診療科目は医療事故に関する紛争が大変多い分野であり、札幌市医師会医事紛争処理委員会における処理状況からも整形外科は最も医事紛争が多い診療科目です。内科疾患と異なり、患者は、骨折や腰痛等は完治するものと考え、完治しないのは医師の責任であると考えがちです。また、手術、術後管理、リハビリなどいつ事故が起きても不思議ではない危険因子が多い上に、そもそも手術適応があったか否かということが問題になるケースも多いのです。加えて、もともと元気な方が、偶々交通事故などによる負傷で患者になるケースが多いせいか、治療がうまくいかないとモンスター患者化する例が多いのも整形外科の特徴であり、医療側弁護士の目から見ると整形外科の医療者の方々は実に大変であると考えます。
- 3 医療事故に関するリスクマネジメントとは、まず第1に「医療事故を発生させない。」、第2に「発生した医療事故が過失ある医療過誤とされないようにすること」、第3に「医療事故発生後、患者側とトラブルが発生しないようにすること」です。
第1の医療事故を発生させないためには、医療者間のコミュニケーションを万全にしておくことがリスクを減らすことにつながります。術後管理については、患者の症状を的確に把握しているか、症状に対して適切な措置をとっているかが問題となり、裁判では具体的な診療経過を認定した上で、術後に生じうる状況を予見して医師及び看護師が適切に対処したといえるかどうかを判断することになります。特に夜間など担当医が帰宅する場合などは、担当医、当直医、看護師の連携が重要であり、担当医が帰宅する際の指示徹底が重要です。術後管理に限られず、リハビリの現場では、理学療法士と担当医、看護師との連携が重要であり、リハビリ担当者が医師に報告し、医師の指示を仰ぐことが必要です。褥瘡事故、転倒事故発生時等については、医師への事前・事後の報告がきちんとなされているか チェックが必要です。診療補助、療養上の世話のいずれについても、医療者間のコミュニケーションは実に重要であり、緊急時に限られることなく、医師への報告は緊密にすること、医師が知らないということが紛争発生時には問題となることを常日頃から確認し合うことが必要です。 - 4 第2の「発生した医療事故が過失ある医療過誤とされないようにすること」については、手術を行ったが、結果がうまくいかず、残念ながら患者との間で紛争となった場合、患者は以下の主張をします。①そもそも手術適応がなかった。②手術適応はあったが術式に問題があった。または手技ミスがあった。③術後管理に過失があった。④リハビリに過失があった。⑤仮に治療について医師の過失が全く無く、不可避的な合併症によるものであったとしても、合併症発症のリスクについて説明を受けていない。①から④までは、医療水準に見合った医療行為を行っているかどうかが争点となり、⑤については患者の自己決定権侵害の有無が争点となります。医療水準とは、医師が個々の患者に対して負っている診療上の注意義務を法的に判断する際の基準です。注意しなければならないのは、説明の内容も診療当時の医学的知見をふまえたものであることが必要であり、説明義務の内容についても医療水準が問題となるのです。
患者側との話し合い、調停等で解決できない場合、最終的には医療裁判となります。医療裁判とは、医療過誤、つまり、医師の過失の有無を民事訴訟法に定められた手続きによって、裁判所が証拠に基づいて判断するものです。裁判所はカルテ、看護記録、各種検査記録から診療行為、経過などの医療行為の内容を認定し、鑑定、診療ガイドライン、医薬品の添付文書等の医学文献に基づいて、医療水準に見合った医療行為かどうかを判断します。裁判所は、診療ガイドラインは、現時点における臨床上の水準を示すものであって、唯一最良の治療法であると考えがちです。たとえば後縦靱帯骨化症と診断され、C4~C7の前方除圧術を受けた患者に関する医療裁判では、頚椎後縦靱帯骨化症診療ガイドライン記載の目安からすると除圧幅が狭すぎるとして医師の過失を認定した例などが参考になります。裁判所は、医薬品添付文書については記載に合致しない投薬は基本的には医療過誤であると考えます。診療ガイドラインは複数ある治療手技の一例を示す内容にすぎず、添付文書の記載内容は必ずしも臨床と合致せず、医師の裁量で増減は当然であると考えがちな医師の意識と裁判所の意識の間に大きな差があります。医療裁判となった場合、医学の素人である裁判官は、治療法については、診療ガイドラインや学会の論文を重視しますし、医薬品の投与については、当該医薬品の添付文書の記載内容を重視する傾向があることに留意すべきです。 - 5 第3の「医療事故発生後、患者側とトラブルが発生しないようにすること」については、発生した医療事故のすべてが紛争となるわけではないことに留意すべきです。医師のICについては、患者が医師の説明をすべて理解、記憶しているとは限らないことに注意しなければならず、誰に、どのように説明すべきかを検討する必要があります。医療側は、個人情報の問題がある以上、本人以外には連絡する義務はないと考えがちですが、患者側は家族には知らせるべきであると考えます。家族への病状説明を個人情報の利用目的として掲示しておくことによって個人情報保護法違反とはならないことに留意してください。医療裁判における患者側の最後の砦は、「説明を聞いていない」ですので、患者への説明、承諾は、即時、証拠として使える形で残す必要があり、説明書面を工夫するなどして、患者が十分理解できるように配慮し、かつ、説明のための時間短縮を図る努力をすべきであって、話すこと+説明書面が有効です。説明書面の存在は、医師と面識がない家族の医師への信頼を深める意味でも有益であり、無用な紛争発生を防ぐ効果があります。説明に際しては、特に重篤な合併症については説明したことが明確に記録に残るように、診療記録の正確かつ詳細な記載が必要であり、このことがリスクマネジメントにとっては非常に重要なことです。カルテ記載の効果は医師が考えている以上に絶大なのです。
- 6 モンスター患者・家族に対しては、医師法19条は絶対的なものではないことを認識して、院内規則を表示し、病院全体で毅然とした対応をすることが肝要です。事案によっては建物管理者名または弁護士名で建物、敷地内への立入禁止命令書の送付により、警察との連携で刑事事件(建造物侵入罪)として対応することも必要です。
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