コラム 福田友洋弁護士「医療訴訟について その2」
こんにちは。福田友洋です。虫の音や香りから夏の気配を感じることができるようになってきました。
ゴルフを楽しむには、ちょうど良い気候ですよね。
今回は、
今後医療訴訟数がどうなっていくのかという点についてお話させて下さい。
医療事故の被害者があえて医療訴訟にまで踏み切る理由の中には、
①真実が知りたい。
②再発予防につなげてもらいたい。
というものがあります。
しかし、被害者のこれらの願いが、
医療訴訟で満たされているかというと十分ではない感じがします。
裁判所も努力し、医療について勉強してはいますが、
裁判は、真実を発見することを目的とするものではなく、証拠に基づいて原告の主張
する事実を認定するものですので、真実がいまひとつ見えない判断を示したり、
こうすべきだったという明確な結論が見えない判断をするからです。
真実を明らかにして、医療事故を教訓として今後の医療に活かしていくためには、
裁判所が、医療事故を判断するのではなくて、
中立的な立場の医師が、医療事故を判断するのが適切です。
当然のことながら、裁判所よりも医師の方が、医療知識が豊富だからです。
現在、中立的な立場の医師の判断が受けられる制度として、各医師会にある医事紛
争処理委員会(すべての医師会で設置しているわけではありません。)があります。
札幌市医師会の医事紛争処理委員会は、医事紛争処理について経験豊富な医師の
方が多く、医療の専門家の立場から、かつ、中立公平に患者さんに医療事故の原因
を丁寧に説明し、その説明を聞いて患者さんが真実が分かったことで納得し、解決に
向かうことが多く、実に優れた制度であると思います。
医事紛争処理委員会以外に産科医療補償制度の原因分析委員会や
日本医療安全調査機構のモデル事業があります。
いずれも始まったばかりですが、
かなり充実した内容で、
医療事故の発生機序、過失、因果関係等を明らかにしている印象を受けます。
被害者側にも、医療側にも、偏っておらず、
中立性も十分に保たれている感じがいたします。
今後これらの中立的な立場の医師の判断を受けられる制度が充実し、
より多く利用されるようになれば、
先ほどお話した被害者の①や②といった願いは、
これらの制度の中で満たされていくので、
医療訴訟は更に減少していくと思います。
ただ、日本医療安全調査機構のモデル事業の報告書については1点気になる点が
あります。
「○○の時点で△△すべきであった。」との報告がなされることがあるのですが、
それが、病院に過失があったとする趣旨なのか、
再発予防の観点からはこうあるべきだとする趣旨なのか、
不明な場合があるという点です。
「過失の判断」と「再発予防の判断」は、
いずれも「○○の時点で△△すべきだった」との表現になりますが、
両者は異なるものです。
過失の有無は、前方視的に、
当時知りえた状況から判断して、病院に落ち度があったかが判断されます。
再発予防策は、事後的に、
結果を全て知った後で、病院がどうすればよかったかが判断されます。
再発予防策の議論は、いわば結果論にすぎません。
ノーアウトランナー1塁で、8番バッターに対して、
強攻策を採るべきか、バントを採るべきかの議論が過失の議論です。
強攻策を採った後で、ダブルプレーになってしまい、
結果としてバントをすべきだったと議論するのが再発予防策の議論です。
仮に、ダブルプレーになってしまったとしても、
8番バッターが非常に調子よくて、
前の打席でホームランを打っていたりしたといった事情がある場合には、
強攻策を採ることも、必ずしも采配ミス(過失)だとはいえないので、
過失の議論と再発予防策の議論は、明らかに異なるものなのです。
もちろん将来の再発予防のためには、
「○○の時点で△△の処置を採るべきだった。」
との判断はなされるべきです。
しかし、だからと言って、
○○当時に知りえた状況から判断して、
△△の処置を採らなかったことが病院の過失(落ち度)かというと、
必ずしもそうではありません。
そして、裁判で判断されるのは、過失(落ち度)があったかです。
再発予防策を採っていなかったからと言って、
過失(落ち度)がなければ、病院は損害賠償責任を負いません。
したがって、
両者の区別がきちんとなされないと、
「病院にミスはないけど、再発予防の観点から、△△すべきだった。」
という趣旨で書かれたものが、
「病院が△△しなかったことに、落ち度がある。」
という趣旨だと誤解され、
このような報告書を証拠として、
最終的に訴訟が起こされることになりかねないのです。
前述のように内容面は非常に充実しているので、
形式面において、
「○○の時点で、△△の処置をすべきだったことに、ミスがあった。」
「ミスではないが、再発予防の観点から○○の時点で、△△の処置をすべきだった。」
と、その趣旨が明確に区別された形式の報告書になれば、
被害者にとっても、医療者にとっても、より望ましい報告書になると考えます。